INTERVIEW
ハリウッドの売れっ子ミキサー、ウィル・ファイルズ氏が語る、大ヒット映画『ヴェノム』の実験的なサウンド・デザイン
昨年末に公開され、世界的に大ヒットを記録した映画『ヴェノム(Venom)』。スパイダーマンの宿敵として知られる人気キャラクター、“ヴェノム”をフィーチャーした大作アクション・ムービーです。ダーク・ヒーロー“ヴェノム”を演じたのは、『ダークナイト ライジング』でも悪役ベインを好演した実力派俳優、トム・ハーディ(Tom Hardy)。監督は『ゾンビランド』のルーベン・フライシャー(Ruben Fleischer)が務め、主題歌はあのエミネムが提供するなど、豪華なスタッフ陣も話題になりました。
その『ヴェノム』の音響制作で大きな役割を果たしたのが、ハリウッドの売れっ子サウンド・デザイナー、ウィル・ファイルズ(Will Files)氏です。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の仕事でも知られるウィル・ファイルズ氏は、『ヴェノム』で音響制作の中心となるスーパーヴァイジング・サウンド・エディター/リレコーディング・ミキサーを担当。Avid Pro Toolsと多数のプラグインを駆使して、『ヴェノム』の異色な音世界を見事に作り上げました。そこでICONでは、先ごろ来日したウィル・ファイルズ氏にインタビュー。本場ハリウッドの最新ワークフローと、『ヴェノム』のサウンド・デザインについて、話を伺ってみました。なお『ヴェノム』は今月、DVD/Blu-rayが発売されたので、劇場に足を運べなかったという人はぜひチェックしてみてください。
ファイナル・ダビングもPro Toolsで完遂するようになったハリウッド
——— ウィルさんには約3年前、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』公開時にもインタビューさせていただきましたが(記事はこちら)、当時と今では何か環境に変化はありましたか?
ウィル・ファイルズ(以下、WF) 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の後、パートナーと二人で新会社を設立し、昨年10月にはSony Pictures Post Production Servicesと契約しました。私の仕事そのものには特に変化は無く、現在はサウンド・デザインとリレコーディング・ミックスを大体半々の割合で手がけています。
——— 映画の製作予算は世界的に縮小していると聞きますが、それはハリウッドも同じですか?
WF ハリウッドも縮小していますね。そのツケが、音に回ってきているというのは世界中どこも同じです(笑)。しかし予算が少なくなっているとはいえ、クオリティーを落とすことだけは絶対にしたくありません。サウンド・チームを構成する人員の数は減っていますが、最新のテクノロジーを駆使することで、クオリティーは十分維持できると考えています。また最新のテクノロジーは、作業の効率向上にも大きく貢献します。
——— 映画のダビング・ステージというと、複数台のPro Toolsの出力を大きなDSPコンソールでミックスするというスタイルを思い浮かべるのですが、そのワークフローに変化はありますか。
WF 何年か前から、DSPコンソールを使用せずにPro Toolsでファイナル・ダビングしてしまうエンジニアが増えました。そしてそのトレンドは、年々加速している印象です。事実、私がよく仕事をしているSony Pictures Entertainmentのスタジオ…… おそらくは地球上で最も大規模なフィルム・スタジオだと思いますが、そこでもHarrison MPCをAvid Pro Tools | S6システムに更新していっています。もちろん、依然としてHarrison MPCやAMS Neve DFCでのダビングを好むエンジニアもいます。ですので、Warner Bros.や20th Century Foxといった会社の大きなダビング・ステージでは、半分がDSPコンソール、半分がPro Tools | S6システムというハイブリッド・スタイルを採用し、そういったエンジニアの需要に応えています。ただ、今やPro Toolsですべてを済ましてしまうエンジニアの方が多いので、そういうハイブリッド・ステージでも2台目のPro Tools | S6システムを持ち込んだり、コンパクトなAvid Pro Tools | S3システムをDSPコンソールの上に載せて作業しているケースをよく見かけますね。
——— ウィルさん自身は、DSPコンソールを使用するメリットはもはや無いとお考えですか。
WF そうですね。音質的にもPro Toolsで十分ですし、今のハリウッドでPro ToolsよりもDSPコンソールの方が音が良いと言う人はいません(笑)。ただ、一部のエンジニア、特にベテランの人たちは、長年やってきたワークフローを変えたくないのだと思います。あとはそれぞれの好みの問題ですね。
——— DSPコンソールをPro Tools | S6システムにリプレースしたダビング・ステージは、具体的にはどのようなシステム構成になっているのでしょうか。
WF 引き続きデパートメントごとにPro Toolsがあります。ダイアログ用に1台、音楽用に1台、SEは1台では足りないので、2〜3台のPro Toolsを割り当て、それらをAvid Pro Tools | Satellite Linkで同期します。その他にダビング用のPro Toolsもあり、1〜2台のS6ですべてのPro Toolsをコントロールするというシステム構成になっています。Pro Tools | S6システムでは、1台のS6あたり、最大8台のPro Toolsをコントロールすることができますからね。
デパートメントごとにPro Toolsを分けているのは、チャンネル数や処理能力の問題もありますが、全体的なワークフローを考えると、別々に管理した方が効率が良いんです。なぜなら、映画ではミックス・ステージに入った後も、たくさんの変更が入るので、そのたびにセッションをアップデートする必要があります。デパートメントごとにPro Toolsを分けておけば、担当者がその部分だけのセッションを持ち帰って作業することができますからね。
——— 日本ではAvidのフラッグシップ・オーディオ・インターフェース、Pro Tools | MTRXが非常に高く評価されています。ハリウッドではいかがですか。
WF ハリウッドでも日本同様、とても人気がありますね。私も昨年、自分のスタジオ用に1台導入し、Avid Pro Tools | HD MADIと併用しています。何よりコンバージョンの音質が素晴らしく、かなり満足しています。ルーティング機能も秀逸で、Dolby RMU(Dolby Laboratoresが提供する、Dolby Atmos用のハードウェア・レンダリング・システム。詳しくは、こちらの記事をご覧ください)との接続も含め、すべてのシグナル・フローはPro Tools | MTRXで一元管理しています。最近、SPQスピーカー・プロセッシング・カードを装着したのですが、これも素晴らしいクオリティーですね。私のスタジオではMeyer Soundのスピーカー・システムを使用しているのですが、Meyer SoundのスタッフもSPQスピーカー・プロセッシング・カードの音の良さに驚いていましたよ。
複数のプラグインを駆使して作られた“ヴェノム”の特徴的な声
——— ここからは、ウィルさんが手がけられた最新の仕事である映画『ヴェノム』について、お話を伺いたいと思います。そもそもこの作品を手がけることになったきっかけは何だったのでしょうか。
WF 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でも一緒に仕事をしたマリアン・ブランドン(Maryann Brandon。『ヴェノム』のフィルム・エディター)から、“今度こういうプロジェクトが始まるんだけど、監督と話をしてみないか”と連絡があったのがきっかけですね。それでルーベン・フライシャー監督に会ってじっくり話をし、リレコーディング・ミキサー/スーパーヴァイジング・サウンド・エディターとして参加することになったのです。
——— 監督からは最初にどのような話がありましたか。
WF 実作業に入る前に、数ヶ月にわたって深い話をしましたが、監督が一番に言っていたのは、“大きいサウンドにしたい”ということでした。“大きいサウンド”というのは、単純に大きな音量というわけではありません。ハリウッドの大作映画…… 我々はそういった作品のことを“ブロックバスター”と呼んでいますが、“ブロックバスターらしい大きいサウンドにしたい”というのが監督の要望だったのです。ルーベン・フライシャー監督は、かなり明確なサウンド・イメージを持っていましたね。
——— この作品で、印象に残っているサウンドの一つが、主人公 ヴェノムの声です。あの声は、どのように作り上げたのでしょうか。
WF いくつかのエレメントが組み合わさってあの声ができているのですが、その中で最も重要だったのが、ヴェノム役のトム・ハーディの声です。彼はヴェノムを演じる際、普通に発声するのではなく、低い声で喉を鳴らすような感じでボイス・オーバーしたのですが、それがとてもハマりました。彼には何度もスタジオに足を運んでもらい、数え切れないくらいボイス・オーバーしましたね。監督もトム・ハーディの声をとても気に入っていたのですが、“もっと非人間的な声にしたい”というリクエストがあり、私は複数のプラグインを駆使してプロセッシングしました。監督はヴェノムの声にかなりこだわっていたので、試行錯誤しながら50くらいのサンプルを作ったのではないかと思います。最終的に採用されたのは、一番最初に私がイメージしていた声にとても近いものでした。
——— どのようなプロセッシングを行なったのか、具体的におしえていただけますか。
WF ピッチ・シフターで2半音程度下げてヴェノムの体の大きさを表現し、アンプ・モジュレーションで音量を変調させました。そしてコーラスやサチュレーターで声に味付けをし、マルチバンド・コンプレッサーで全体の帯域を整え、最後はサブ・ハーモニック・プロセッサーで超低音を加えました。これらの処理はすべてPro Tools上で行なっています。
——— すべて直列でプロセッシングしたのですか?
WF そうです。私はこういったサウンド・デザインを行う際、AudioSuiteでオフライン・プロセッシングはせず、AAXプラグインを使ってすべてリアルタイム処理します。なぜならミックス・ステージでは、監督がスタッフと相談しながら、台詞やその繋ぎが頻繁に変わるからです。そういった変更にも瞬時に対応できるように、すべてリアルタイムに処理しているのです。
——— どのようなプラグインを使用しましたか?
WF 私のメイン・ツールは、Avid純正とAIR、そしてSoundtoysのプラグインです。ピッチ・シフターとアンプ・モジュレーションにはAIR Frequency Shifter、コーラスにはAIR Ensemble、サチュレーターにはSoundtoys Radiator、マルチバンド・コンプレッサーにはAvid Pro Multiband Dynamics、サブ・ハーモニック・プロセッサーにはAvid Pro Subharmonicを使用しました。中でも肝となったのが、AIR Ensembleです。あのプラグインをインサートしたとき、スタッフ全員、“それだ!”となりましたね(笑)。ヴェノムは液体的なキャラクターなので、AIR Ensembleのコーラス・サウンドが上手くハマったのかもしれません。
——— プラグインを次々にインサートしていくと、最初のイメージを見失ってしまうこともあると思うのですが、複数のプラグインを組み合わせた音作りのコツがあればおしえてください。
WF それは我々プロにとっても課題なのですが、少しでも“やり過ぎ”と感じたら、一度原音に戻ってみるといいかもしれません。それと人間の声であれば、台詞をしっかり聴き取れるかどうかは常に意識しなければなりませんね。
——— Soundtoysのプラグインは、どのあたりが気に入っているのですか?
WF クリエイティブで、使っていて楽しいところが気に入っています。音が良いだけでなく、遊びの要素も入っていますしね。どのプロセッサーも特徴的なサウンドを持っていて、音を積極的に変えたいと思ったときは真っ先に試すプラグインです。先ほど挙げたプラグイン以外ですと、Little AlterBoy、Tremolator、PhaseMistressが気に入っています。
——— 他にサウンド・デザインにおけるクリエイティブなエピソードがあればおしえてください。
WF 今回の作品で言えば、ヴェノムという不思議なキャラクターの動き、その一つ一つに音を付けていくのが楽しかったですね。そういったサウンド・デザインで私が愛用しているのが、Digital Brain InstrumentsのTransformerというスタンドアローン・ソフトウェアで、このツールを使えばあらゆる音をモーフィングすることができるのです。Transformerに液体的な音やネバネバした音を読み込み、まったく違う動物の叫び声などとモーフィングしました。Transformerは本当にパワフルなツールです。
——— 液体的な音やネバネバした音は、どうやって用意したのですか?
WF アシスタントと二人で、自分たちで録音しましたよ。スーパーや魚屋に行って、タコや魚の内臓など、良い音が出そうなものを片っ端から購入して。茹でたとうもろこしを手でいじった音を録音したりもしましたね(笑)。
——— そういった音を録音するときは、どのような機材を使用するのですか?
WF メインのレコーダーはSound Devices 702Tで、ズーム F8を使うときもあります。マイクは大抵、三研マイクロホン CO-100Kですね。サンプル・レートは192kHzで、なぜハイ・サンプル・レートで録音するのかと言えば、録音した音はそのまま使うのではなく必ず加工するからです。192kHzで録っておけば、スピードを1/4に落としても十分な倍音が残っています。
——— 映画の世界では24bit/48kHzが標準ですが、SEの音素材は192kHzで録音するんですね。
WF そうです。音楽に関しても、96kHzでレコーディングするプロジェクトが増えていますね。今回の『ヴェノム』では当初、ダイアログを96kHzで録音するというアイディアもあったんですよ。主人公の声をたくさんプロセッシングしなければなりませんでしたからね。しかし実際に試してみたところ、人間の声に関しては96kHzで録ってもそれほどメリットが無いということが分かったので、他の作品同様、すべて48kHzで作業しました。96kHzで録ると、単純にファイル・サイズも倍になってしまいますからね。
Dolby Atmosミックスは、臆病にならずに思い切って取り組んだ方が良い結果が得られる
——— 『ヴェノム』は、Dolby Atmosでも上映されましたね。
WF はい。ネイティブのDolby Atmosミックス作品です。作業を始めた段階からDolby Atmosでミックスを行うことは決まっていたので、サウンド・デザインもDolby Atmosのことを十分に考慮して行いました。Dolby Atmosでは、音の配置が特に重要になってきます。ですので、プリ・ダブの段階でも必ずセッション内にオブジェクト・トラックを用意し、エディターの“この音はこういう風に動かしたらおもしろいんじゃないか”というアイディアに、すぐに対応できるようにしておきました。
Pro Toolsが素晴らしいのは、RMUが無い部屋でも、オブジェクトをその部屋のスピーカー・システムに合わせてダウン・ミックスできる点です。5.1chや7.1chの部屋でも、Dolby Atmosのパンニングをしっかり確認することができるんです。
——— 『ヴェノム』は、ウィルさんにとって、何作目のDolby Atmos作品になりますか?
WF 分かりません(笑)。もう数え切れないくらいDolby Atmosで作業していますから。実は私は、世界初のDolby Atmosミックスにも関わっているんです。
——— Dolby Atmosミックスのコツがあればおしえてください。
WF ひとくちに“Dolby Atmosミックス”と言っても、その方向性は作品によって様々です。ですので端的にコツを言うのは難しいのですが、これから取り組む人にアドバイスをするなら、“臆病にならないで、思い切ってミックスしてください”ということでしょうか。私の経験上、キャリアの長いエンジニアほど保守的なミックスを行うのですが(笑)、積極的にミックスした方が良い結果が得られます。そのことを若いディレクターなどはちゃんと理解していて、“もっと派手なミックスにしてよ”と言いますね。重要なのは、劇場にやって来るお客さんも、そういう派手なミックスを求めているという点です。お金を払って映画館まで足を運ぶということは、家では体験できない経験、没入的でダイナミックなサウンドを求めているのです。
あとはもし可能なら、Dolby Atmosミックスから作業をスタートさせた方がいいですね。Dolby Atmosミックスから作業を始めると、結果的にリスクを取った大きなミックスが行えると感じています。Dolby Atmosミックスが完成してしまえば、7.1chや5.1ch、ステレオなど、他のフォーマットに落とし込むのは比較的容易ですからね。
——— ウィルさんは最近、Netflixの仕事も手がけられているそうですね。
WF はい。Netflixの仕事はどんどん増えており、我々映画を専門にしている会社にとって、非常に大きなクライアントになっています。私がNetflixをリスペクトしているのは、常に最新のテクノロジーを取り入れ、視聴者に最高の体験を提供している点です。Dolby Atmosもそうですし、4K、HDR、Dolby Visionなどなど……。この姿勢は、ハリウッドにも確実に影響を与えています。
——— Netflixオリジナル作品と映画では、ミックスのワークフローは同じですか?
WF 基本的には同じです。最初に劇場版のミックスをそれなりの大きさのダビング・ステージで行い、それが完成したら小規模なAtmos Homeルームで、ホーム・シアター向けの“ニア・フィールド・ミックス”を作ります。最初に劇場向けの大きなミックスを作り、次に小規模な環境向けのミックスを作るという順番が大切です。
——— ハリウッドのミキサーは、仕事が増えて大変ですね。
WF そうですね。毎日非常に忙しいのですが、それはとても良いことだと思っています。
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