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製品開発ストーリー #34:Tracktion Waveform 〜 強力な作曲支援ツールを搭載、Raspberry Piでも動作する新世代DAW、遂に販売開始!
かの“JUCE”の生みの親である天才プログラマー、ジュリアン・ストーラー(Julian Storer)氏が開発したDAW、Tracktion。シンプルで直感的なユーザー・インターフェースと、優れたコスト・パフォーマンスで、世界中のユーザーから支持されているDAWです。一時期、権利関係の問題で開発/販売が止まっていたTracktionですが、有志が設立した新会社Tracktion Corporationが権利を買い戻し、2013年に開発/販売が再開(詳しくは、こちらのインタビュー記事を参照)。その後は毎年のように大がかりなバージョン・アップが実施され、着実に進化を遂げているのはご存じのとおりです。
そのTracktionがこのたび、「Waveform(ウェーヴフォーム)」と名を変え、新しいDAWとして生まれ変わりました。基本的にはTracktionの延長線上にある「Waveform」ですが、コード進行やメロディー・ラインを自動生成してくれる『作曲支援ツール』や、高機能な専用シンセサイザー/サンプラー『Collective』を搭載するなど、よりパワフルなDAWへと進化しています。さらには“Maker”の間で流行のシングル・ボード・コンピューター、Raspberry Piにも対応。間もなく発売になる純正のオーディオ・インターフェース・ボードを併用すれば、Raspberry Piが本格的なDAWとして機能するようになります。
Tracktionユーザーならずとも大注目の新DAW「Waveform」。そこでICONでは、来日したTracktion CorporationのCEO、ジェームス・ウッドバーン(James Woodburn)氏に、その開発コンセプトと新機能について話を伺ってみることにしました。
強力な作曲支援ツールと新開発のソフト音源「Collective」を搭載
——— まず、長らく親しまれてきたTracktionの名称を、「Waveform」に変更した理由からおしえてください。
JW 我々がLoud TechnologiesからTracktionの権利を買い戻し、販売を再開してしばらくは、Tracktion Corporationの製品はTracktion 1つしか無かったんです。ですから会社名と製品名が同じでも大した混乱は起こらなかったんですが、その後マスタリング・プラグイン Master Mix、プラグイン・コレクション DAW Essentials Collection、ソフト・シンセ BioTekなど、製品ラインナップが増えていくに伴って、ちょっとした混乱も起こるようになってきました。“TracktionのBioTek”と言うと、実際は他のDAWでも使える製品なのに、Tracktion専用のソフト・シンセだと勘違いしてしまう人もいましたからね。そんなこともあって最近はTracktionのことを、“T7”や“T6”と呼んでいたんですが、これも何だかコード・ネームのようで分かりにくい。それだったら次の大きなバージョン・アップのタイミングで、名前を変えて“リブランディング”しようと考えたんです。
——— 「Waveform」という名称はどのようにして決まったのですか?
JW バンドの名前を決めるのと同じですよ(笑)。スタッフ皆でああだこうだ言いながら、ブレインストームしたんです。しかしなかなか“コレ!”という名前が浮かばず、どうしたものかと若いスタッフに最近のネーミングのトレンドについて尋ねたんです。そのスタッフは20代で若いんですが、Tracktion Corporationに入る前は映像制作を行っていた非常にセンスの良いヤツだったので。そうしたら彼いわく、最近は難しい単語よりもシンプルな単語を使うのがトレンドだと。なるほどと思い、音に関連するシンプルな単語をたくさん挙げていったんです。ほとんどの単語はプラグインやソフト・シンセの名称として既に使われていたんですが、意外にも他で使われていなかった「Waveform」がいいんじゃないかということになったんですよ。シンプルで、これから何年経っても通用する良い名前なんじゃないかと。なかなかキャッチーな名前だと思いませんか?
——— 前バージョンのT7と「Waveform」の大きな違いと言うと?
JW たくさんあります。まず、遂に専用ミキサーを搭載しました。これにより、ようやく他のDAWと同じようなミキシングが可能になります。「Waveform」のミキサーは非常にパワフルで、ユーザー・インターフェースの中に組み込み、自由にカスタマイズできるようになっています。例えば、トラック・レーンの下部にミキサーを表示させれば、編集とミキシングをシームレスに行うことが可能です。この表示の設定はいくつも保存することが可能で、作業内容に合わせて瞬時に切り替えることができます。我々はこのパワフルなミキサー機能を、『モジュラー・ミキシング』と呼んでいます。『モジュラー・ミキシング』のラック・エンバイロメント機能を使えば、表示だけでなく、プラグイン処理のチェーンなども保存/リコールすることが可能です。
——— ミキサーは、別のウィンドウ/タブで表示させることもできるのですか?
JW はい。ウィンドウを切り替えることなく、単一のUIですべての作業を行えるというのはTracktionの大きな特徴でしたが、ユーザーから“ミキサーだけは別ウィンドウで使えるようにしてほしい”というリクエストが前々から寄せられていたんです。我々としては単一のUIというコンセプトはできるだけ維持したかったのですが、ユーザーの使い勝手のことを考え、今回遂に別のウィンドウ/タブでもミキサーを使えるようにしました。しかしTracktionのユニークな特徴である、左から右に信号が流れるユーザー・インターフェースはそのままですし、ミックスするにあたってミキサーを使わなければならないというわけではありません。「Waveform」でも、これまでどおり単一画面ですべての作業を行うことができます。
——— その他の新機能と言うと?
JW ミキサーが別ウィンドウ/タブで使えるようになったのは、Tracktionユーザーにとっては大きな変化でしょうが、他のDAWを使っている人からすれば当然の機能が実装されたに過ぎません(笑)。ですので、本当の意味での一番のフィーチャーは、新開発の作曲支援ツールと言っていいでしょう。「Waveform」では新たに、『MIDIパターン・ジェネレーター』と『リアルタイムMIDIコード・プレーヤー』という2種類の作曲支援ツールを搭載しました。このインテリジェントなツールにより、音楽的な知識が無い人でもコード進行やフレーズを簡単に作成することが可能になります。
——— どのような機能なのか、詳しくおしえてください。
JW 『MIDIパターン・ジェネレーター』は、言ってしまえばコード進行を自動で生成してくれる機能です。曲を作っていて、コードの展開に悩んだことはありませんか? 『MIDIパターン・ジェネレーター』を使用すれば、コードの展開を「Waveform」がサジェストしてくれるのです。それだけではありません。そのコードに合ったベース・ラインやメロディーなども生成してくれます。一方、『リアルタイムMIDIコード・プレーヤー』は、シングル・ノートの演奏にコードを付けてくれる機能です。こういった作曲支援機能と言うと、実際の制作では使いものにならないというイメージを持っている人も多いと思いますが、「Waveform」の『MIDIパターン・ジェネレーター』と『リアルタイムMIDIコード・プレーヤー』はかなり優秀です。この2つの作曲支援ツールと、新しいソフトウェア・インストゥルメント「Collective」を組み合わせれば、音楽的な知識が無くてもかなり複雑な曲を作ることができます。
——— 作曲支援ツールは、大学などアカデミックな機関が開発したアルゴリズムがベースになっているのですか?
JW いいえ。すべて社内で開発しました。我々オリジナルの作曲支援機能です。従ってこれらのツールを利用できるのは「Waveform」ユーザーだけです。
——— 新しいソフトウェア・インストゥルメントもバンドルされるのですか?
JW はい。Tracktionではプラグイン・エフェクトやソフトウェア・インストゥルメントをゴチャゴチャと同梱せず、シンプルでクリーンなDAWを提供しようと考えていたのですが、即戦力になる音源が1つくらいあった方がいいだろうということで、新たに「Collective」というソフトウェア・インストゥルメントを開発し、バンドルすることにしました。「Collective」は非常にパワフルなシンセサイザー/サンプラーで、エンジン部はBioTekと共通であり、実に600種類以上のプリセットが収録されています。正直、「Collective」単体でも「Waveform」の価格に見合うソフトウェア・インストゥルメントだと思いますよ。先ほど紹介した作曲支援ツールに最適化されているのも「Collective」の大きな特徴です。
——— 他にも改良点はあるのでしょうか。
JW そうですね。MIDI機能はさらに強力になっていますし、T7では制限がかかってしまっていたユーザー・インターフェースのカラーリングに関して、「Waveform」では好みのテーマを選べるようになりました。もちろん、ユーザー自身でテーマを作成することもできますが、それはかなり大変なので、あらかじめ用意されているテーマを選んだ方がいいと思います(笑)。
シングル・ボード・コンピューターのRaspberry Piに対応
——— そして一部で大きな話題になっているのが、Mac/Windows/Linuxだけでなく、Raspberry Pi(註:ARMプロセッサを搭載したシングルボード・コンピューター)にも対応したことです。今回、「Waveform」をRaspberry Piに対応させようと考えたのはなぜですか?
JW 答えはシンプルです。Raspberry Piは現在、世界中で人気があり、最も気軽に使うことができるコンピューターだからです。だってたった30ドルで手に入れることができますからね(註:日本では5,000円前後)。最初はRaspberry Piのことが大好きなスタッフの一言から始まったんですよ。“Raspberry PiでDAWが動いたら、いろいろな可能性が広がるんじゃないか?”って。ちょうどオーディオ・エンジンを作り直しているときだったので、すぐに“それはおもしろそうだ。やってみよう”ということになったんです。
——— Mac/Windows/Linux版と、Raspberry Pi版の違いについておしえてください。
JW できることは同じです。機能的な制限は特にかけていません。もちろん、デスクトップ・コンピューターと比べると処理能力は劣りますので、実際に録音/再生できるトラック数には限りがありますけどね。我々がテストした限りでは、1.2GHz/クアッドコアのARM Cortex-A53を積んだRaspberry Pi 3で、20〜30トラックのオーディオを同時に再生することができました。それでも人によっては十分なトラック数なのではないかと思います。
——— Mac/Windows/Linux版のユーザーは、Raspberry Pi版のライセンスを別に購入しなければならないのでしょうか。
JW いいえ。我々はプラットホームによってライセンスを分けていないので、すべての「Waveform」ユーザーは追加料金を支払うことなく、Raspberry Pi版を使用することが可能です。
——— メーカーとしては、どのような使われ方を想定していますか?
JW 手のひらサイズのコンピューターで、フル・スペックのDAWが動作するわけですから、いろいろな可能性があるんじゃないかと思っています。普通に使ってもおもしろいと思いますし、最近はMakerブームでシンセサイザーを自作する人も増えていますから、「Waveform」を走らせたRaspberry Piで、オリジナルのEurorackモジュールなんかを作ってもおもしろいのではないでしょうか。Raspberry Piは起動時の挙動を設定することができるので、電源を入れれば「Waveform」とBioTekが立ち上がるようにすることもできます。そうなると、もはやスタンドアローンのシンセサイザーと変わりません。BioTekだけでなく、Linux対応のソフトウェア・インストゥルメントを「Waveform」上で動かすことも可能です。「Waveform」とRaspberry Piでオリジナルのシンセサイザーやガジェットを作る人が増えてきたら、「Waveform」のエンジン部分だけをオープン・ソース化することも考えたいと思っています。個人であれば、「Waveform」のエンジン部分を使ったRaspberry Piガジェットを自由に販売することができるようにすると。現状ですと、Raspberry Pi 1つにつき「Waveform」のライセンスが1つ必要になります。
——— Raspberry Piで使用する場合、オーディオ入出力のクオリティが気になります。
JW おっしゃるとおりで、フル・スペックのDAWが動いてもオーディオ入出力のクオリティが低かったら用途は限られてしまいます。そこで我々は現在、Raspberry Pi用のオーディオ・インターフェース・ボードの開発を行っています。このオーディオ・インターフェース・ボードはUSBドングルよりも少し大きいくらいで、Raspberry PiとはUSBではなく、I2S(Inter-IC Sound)という規格で接続するため、音質だけでなくレーテンシーも同時に改善します。間もなく発売予定ですので、ぜひ楽しみにしていてください。
間もなく発売になる超高級オーディオ・インターフェース「Copper Reference」
——— Tracktionの生みの親であるジュリアン・ストーラー(Julian Storer)さんは、“JUCE”(註:オープンソースのC++アプリケーション・フレームワーク。現在は多くのオーディオ系ソフトウェアで採用されている)の開発者としても知られています。“JUCE”は2014年、ROLIに買収され、ジュリアンさんはソフトウェア・アーキテクチャーのヘッドとして同社に招かれたようですが、現在も「Waveform」の開発を行っているのですか?
JW もちろんです。ただ、ジュリアンは“JUCE”の開発で忙しいので、現在はカナダやイギリスで他のプログラマーも開発を行っています。「Waveform」に関して言うと、一部で“JUCE”が使われていますが、完全に“JUCE”が基盤になっているわけではありません。
——— Tracktion CorporationとROLIの関係についておしえてください。
JW 細かいことはお話しできません。ただ、我々はROLIに限らず、オーディオ関連のアルゴリズムをいくつかの会社にライセンス供与しており、それはビジネスの大きな柱になっています。オーディオを扱うソフトウェアやプラグインを構成する要素はたくさんありますが、その中でもコアとなるオーディオ・エンジンは、優れたプログラマーが10人、1年間休まずにコードを書き続けてようやく形になるような非常に複雑なものです。ですから、プラグイン・エフェクトやソフトウェア・インストゥルメントの開発を考えたとき、ゼロからオーディオ・エンジンを開発するよりも我々からアルゴリズムを手に入れた方が断然効率が良いのです。ご存じかもしれませんがROLIは昨年、ベンチャー・キャピタルから約60億円もの出資を受けました。それだけの資金力がある会社でも、オーディオ・エンジンをゼロから開発するというのは難しいことなのです。我々は基本的にアルゴリズムはすべて自分たちで開発しています。他社からライセンスを受けているのは、Zplaneのタイム・ストレッチ/ピッチ・シフト・アルゴリズムと、MP3エンコーダー/デコーダーくらいです。ソフトウェア・インストゥルメントのエンジン部分に関しても、Native Instrumentsからライセンスを受けるのが一番手っ取り早いのですが、我々は自社で開発しました。
——— 昨年のNAMM Showでお披露目された純正オーディオ・インターフェース、「Copper Reference」の進捗はいかがですか?
JW お待たせしてしまって申し訳ありませんが、ESS社が140dBのダイナミック・レンジを持つ新しいDAコンバージョン・チップを発表したため、発売を延期しました。チップを単純に載せ替えるのでは済まなかったので、周辺の回路の設計もすべてやり直したのです。発売前なのに、内部のメイン・ボードは早くも5世代目になりました(笑)。もうすぐ出荷が開始できる見込みです。
——— 「Copper Reference」の予価は60万円前後と、いわゆる“プレミアム・インターフェース”に位置付けられる製品ですね。なぜこのような高級インターフェースを開発しようと思ったのですか? もっと安価なインターフェースの方が、「Waveform」とのセールス/マーケティングのシナジーが出るのではないでしょうか。
JW 安価なオーディオ・インターフェースは、市場にこれでもかというくらい存在します。大きなメーカーが力を入れている市場ですから、我々がやる意味はありません。我々のような小さな会社は、他がやっていないようなことをやるのに意味があるのです。Raspberry Piへの対応と同じですよ(笑)。先ほど、「Copper Reference」のことを“プレミアム・インターフェース”とおっしゃいましたが、同価格帯の他社製品とは比較しないでください。「Copper Reference」は超高級車であり、オーディオ・インターフェースのスーパーカーと言える製品です。
——— 最後にこの記事を読んでいる人に、新DAWソフトウェア「Waveform」の魅力をあらためておしえてください。
JW 「Waveform」は音楽を作りたい人と考えている人のための、真にクリエイティブなDAWソフトウェアです。Pro Toolsは非常に優れたDAWだと思いますが、どちらかと言えばレコーディングやミキシング用のDAWです。そしてCubaseやStudio Oneも、Pro Toolsのことを強く意識したユーザー・インターフェースになっています。我々は正直、Pro Toolsのことをまったく意識していません。曲作りを行う上で、ベストな方法を追求していった結果が「Waveform」のユーザー・インターフェースなのです。自画自賛になってしまいますが、音楽を作るのであれば「Waveform」がベストなDAWであると断言できます。最近は複数のDAWを使い分ける人も増えているので、少しでも興味を持った方はぜひ一度試してみてください。きっとあなたの想像力を刺激してくれると思います。