MUSIKTECHNIK
Vintage Computer Music #2: 世界初のMIDIシーケンス・ソフト「Texture」を開発した、ロジャー・パウエル(ex. ユートピア)インタビュー
1960年代後半からMoog Modularを操るシンセサイザー・プログラマーとして活動を開始し、1970年代は伝説のバンド、ユートピアのキーボーディストとして活躍したロジャー・パウエル(Roger Powell)。彼は玄人受けするミュージシャンであると同時に、テクノロジーに精通したソフトウェア・プログラマーとしても知られています。
1980年代半ば、パウエルはユートピアのメンバーとして活動する傍ら、Textureと名づけられたApple II用のMIDIシーケンサーを発表。コンピューター・ベースのMIDIシーケンサーとしては、世界最初のソフトウェアのひとつであるTextureは、間もなくしてIBM PC用やAmiga用にも移植され、スティーヴィー・ワンダーやボブ・ジェームスといった大物ミュージシャンたちにも愛用されました。
間もなくしてベル研究所で働くことになったパウエルは、世界で初めてデジタル・シンセサイザーだけを使用したライブ・パフォーマンスを行い、その後はWaveFrame社(早すぎたPro Tools TDMシステム、AudioFrameのメーカーです)Silicon Graphics社、Macromedia社など、その時々の最先端企業をプログラマーとして渡り歩きます。もちろんその間、ユートピアのライブ・ツアーやソロ・アルバムの制作など、音楽活動も精力的に続けているのですから、そのアクティブな生き方は凄いとしか言いようがありません。
そして1997年、パウエルはApple社にシニア・プログラマーとして入社します。あまり知られていませんが、パウエルはApple社で、Final Cut ProやSoundtrack Proといった今をときめくソフトウェアのオーディオ部分の開発を手がけていたのです。2009年5月、パウエルはApple社を退社し、世界的なゲーム会社、Electronic Arts社に、ミュージック・テクノロジーのシニア・プロデューサーとして入社。Wikipediaによれば、現在もElectronic Arts社に在籍しているようです。
世界初のコンピューター・ベースのMIDIシーケンサーをたった一人で生み出し、Final Cut ProやSoundtrack Proといった有名なソフトウェアの開発に携わり、その傍らミュージシャンとしても活動し続けているロジャー・パウエル。先日、ハードディスクの中身を整理していたところ、何年か前に某フリー・ペーパーに寄稿したパウエルのインタビュー記事原稿が出てきたので、加筆/訂正を行い、“Vintage Computer Music”の2回目の記事として掲載することにします(“Vintage Computer Music”の1回目の記事はこちら)。このインタビューは、2007年1月、NAMM Showの会場で行ったもので、当時はまだApple社でFinal Cut Proの開発をバリバリ行っていました。ミュージシャンとしてではなく、プログラマーとしてのロジャー・パウエルのインタビューはとても貴重だと思いますので、ぜひご一読ください。
——— パウエルさんは、日本では伝説のミュージシャンとして知られています。今でもファンは多いんですが、そのことはご存じですか?
RP そんな伝説のミュージシャンだなんて、めっそうもないですよ(笑)。日本には私の音楽のファンが多いということは、もちろん知っています。日本ではユートピアやトッド(・ラングレン)が非常に人気ありますからね。その流れで、私の音楽を聴いてくれているのだと思います。
日本にはこれまで、確か5〜6回行っていると思います。ユートピアでトッドと一緒に3回……いや、4回だったかな? それとデヴィッド・ボウイのツアー・キーボーディストとしても行きました。1978年か79年に行われた“Stage Tour”ですね。あとはボブ・ジェームスのツアーに同行したこともあります。
——— ボブ・ジェームス! それは本当ですか?
RP 本当ですよ。ボブは、私が開発したMIDIシーケンサー、Textureの熱心なユーザーだったんですよ。それが縁で彼との付き合いが始まり、キーボーディストとTextureのオペレーターを兼ねて、ツアーに同行したんです。ボブがどうしても私のソロを聴きたいと言うので、トランペットも吹きましたよ(笑)。
——— 最近は来日してないのですか?
RP 1992年のユートピアのツアーが最後です。このツアーの模様は、確かDVDになっていると思いますよ。あのツアーは、日本だけで行われた特別なものだったんです。日本でユートピアの人気が根強いことに目をつけたプロモーターが企画したんですよ(笑)。ただ、2週間のツアーを行うのに、しばらく人前で演奏をしていないのは不安だったので、アメリカで1回限りのライブをやったんです。いわば日本ツアーのための公開リハーサルですよね(笑)。他の国ではそんなに人気がないのに……日本というのはつくづく不思議な国だと思いますよ。
——— 先ほど話に出たTextureは、コンピューター・ベースのMIDIシーケンサーとしては、世界で最初のもののひとつとして知られています。なぜTextureのようなMIDIシーケンサーを開発しようと思われたのですか?
RP 単純に、自分が曲作りをするときに、使いやすいMIDIシーケンサーが欲しかったんです。Textureはとてもシンプルで、直感的に使用することができます。まさしく音楽家のためにつくられたMIDIシーケンサーなんですよ。
Textureのリリースは、1984年か85年のことだったと思います。当時、私はユートピアのキーボーディストとしてちょっとは知られた存在でしたので、その立場を利用してプロモーションを行いました(笑)。間もなくしてユートピアが活動休止状態になったので、私はTextureの開発に本腰を入れるようになったのです。
——— Textureは、最初から最後までお一人で開発されていたのですか?
RP そうです。ただ、最後期のTextureは、私の手を離れて、スリム・ヘイルパーン(Slim Heilpern)という人物が開発を手がけています。スリムは、もともとはTextureのヘヴィ・ユーザーで、私の元に頻繁にフィードバックをくれていたんですよ。そして1987年、私がWaveFrame社に入社するとき、彼はTextureの開発を引き継がせてくれないかと言ってきたのです。WaveFrame社に入社したら、あまりTextureにかまってられなくなるのはわかっていたので、私はその申し出を快諾して彼にソース・コードを渡しました。ですので、バージョン4くらいからの新機能は、すべてスリムが付け加えたものですね。彼はプログラミングの知識はほとんど無かったんですが、Textureの開発を行うにあたって、C++を独学で習得したんです。その熱意には本当に感心しましたね。彼とは今でも交流があって、一緒にMagnetic Music社という会社を運営しています。
余談ですが、現在でもTextureユーザーっているんですよ。古いPCをキープして。なぜ彼らがTextureを愛し続けているかと言うと、それはとてもシンプルだからです。最近のMIDIシーケンサーやDAWソフトウェアは、ミュージシャンにとっては難しすぎるんですよ。やりたいことがすぐに出来ない。インスピレーションを具現化するには、Textureくらいシンプルな方がいいんです。Textureでは、キーボードをドラム・パッドのように使うことができ、マウスを使用せずにMIDIノートを入力することができますからね。
——— WaveFrame社に入社されたのは?
RP ユートピアもほとんど終わっていましたし、自分にはプログラミングのスキルがある。そろそろ普通の仕事に就きたいなと思ったんです。結局、WaveFrame社には1987年から90年まで在籍していました。
——— 確か、AudioFrame(WaveFrame社のDAW)にもTextureが搭載されましたよね?
RP よく憶えてますね(笑)。そうです。AudioFrameにMIDIシーケンス機能を搭載しようということになったとき、私個人としてはTexture以外考えられませんでしたから。
——— その後は、Silicon Graphics社で働かれていたと聞きましたが。
RP そうです。WaveFrame社は、西海岸のロング・ビーチにオフィスがあったんですが、すぐ近くにSilicon Graphics社があったんですよ。そんなこともあり、スタッフと親しくなって、あるとき彼らから相談を受けたんです。当時、彼らはミュージック/オーディオ・プロダクション市場への参入を本格的に検討していて、音声処理専用のチップを独自に開発していました。それで私とトッドが、そのコンサルタントとして雇われたんです。そしてプロジェクトが忙しくなってきたこともあり、私はWaveFrame社を辞め、Silicon Graphics社でフルタイムで働くことになったんですよ。結局、そのプロジェクトは上手くいきませんでしたけどね。
——— そういえば、元Opcode Systems社の開発者で、現在はSubmersible Music社でDrumCoreを開発しているコード・テイラー(Kord Taylor)さんもSilicon Graphics社に在籍していましたよね?
RP わはは、お詳しいですね。そう、Silicon Graphics社ではコードと一緒でしたよ。
私はSilicon Graphics社には6年半在籍して、その後はMacromedia社に移りました。Macromedia社では、ビデオ編集ソフトウェアの開発プロジェクトに深く関わりました。
——— “KeyGrip”ですね。
RP そのとおりです。そしてこの“KeyGrip”というコードネームで呼ばれていたソフトウェアが、後々Final Cut Proとして進化を遂げることになるのです。1998年、Apple社はMacromedia社から、“KeyGrip”とそのリソース、開発チームを丸ごと買収しました。ですから私は、その買収劇によってApple社に移籍することになったのです。そして1999年、“KeyGrip”はFinal Cut Proとしてデビューを果たします。本当は“Macromedia Final Cut Pro”のはずだったんですけどね。Final Cut Proのお披露目は、確かNAB Showだったと思います。
——— Apple社ではずっとFinal Cut Proの開発に関わられているのですか?
RP そうです。ある開発グループのリーダーを任されています。また、Final Cut Proのオーディオ機能全体のプログラミングの責任者でもあります。最近は複数のプログラマーを統括する管理職的な仕事も多いんですが、キーとなるソース・コードはほとんど私が書いていますよ。
——— LogicやGrageBand、さらにはiTunesなどの開発にも関わってらっしゃるのですか?
RP いいえ、まったく関わっていません。私はあくまでもFinal Cut Proの担当です。ただ、Soundtrack Proの開発には若干関わっていますけどね。iTunesの開発なんて、どういうところで行われているかも知りませんよ(笑)。
——— それでも曲作りの際は、当然Logicを使用するんですよね?
RP いいえ。私はああいう複雑なソフトウェアは苦手なんです(笑)。現在はDAWソフトウェアとしてAbleton Liveを使用していますが、実際のレコーディングはスタンドアローンのハードディスク・レコーダーで行うことがほとんどですね。MIDIデータをレコーディングするのではなく、手弾きのキーボードのサウンドをそのままレコーディングしているんです。私は根っからのプレーヤーなので、このスタイルが性に合っているんですよ。未だにカセットMTRも愛用していますし、私はああいうシンプルな機材が好きなんです。ただ、ずっと一緒に仕事をしているプロデューサーは、Pro Toolsを使用していますよ。彼がひととおりエンジニアリングをしてくれるので、私は曲作りや演奏に専念できるんです。
——— キーボードはどんなものを使用していますか?
RP たくさん持ってますけど、よく使うのはMoog Minimoog Voyagerとコルグ TRITONですね。この2つはお気に入りです。
——— ソフトウェア・インストゥルメントに関しては?
RP 大好きですよ。最近だとNative Instruments社のMassiveは、とても良く出来ていますね。あとはLinPlug社のAlbinoとか、CronoXとか……。それとFXpansion社のBFD。これは本当に素晴らしいソフトウェア・インストゥルメントですよね。必ずと言っていいほど使っています。
——— パウエルさんは、確かARP社のシンセサイザーがお好きでしたよね?
RP その辺りのサウンドも、ソフトウェア・インストゥルメントでカバーしています。ARPのシミュレーションものでいちばん好きなのは、Way Out Ware社のTimewARP 2600ですかね。Arturia社のものはあまり好きではないので使っていません。
こんな話をしていると、まるでコンピューター・ギークのようですが、曲作りのスタート・ポイントはコルグのELECTRIBEだったりします。ソファに座ってELECTRIBEを触っていると、いろいろとアイディアが沸いてくるんですよ。私は曲作りのときくらいは、出来るだけコンピューターから離れたいと思っています。プログラマーの私がこんなことを言うのもヘンな話なんですけどね(笑)。ずっとテクノロジーの最先端企業で働いてきましたが、実際のところ私はミュージシャンなんだと思います。人に、お前は何者だ?と訊かれたら、私は即座にミュージシャンと答えますよ。
Roger Powell: Fossil Poets
ICON: Vintage Computer Music #1: SONY RASSAPIATOR 〜 あのソニーが世に送り出した幻のソフト・シンセ 〜