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槇原敬之さんのプライベート・スタジオ、“Jingumae Buppu Studio” レポート 〜 レコーディング・エンジニア、滝澤武士氏に訊く槇原作品のプロダクション

今年デビュー25周年を迎えたシンガーソングライター、槇原敬之さん。今月19日には記念シングル第一弾『Fall』が発売され、来年3月からは全国32ヶ所にも及ぶ全国ツアーが予定されているなど、アニバーサリー・イヤーを迎え、これまで以上に精力的な活動を行っています。そんな槇原敬之さんのプロダクションを支えているのが、レコーディング・エンジニアの滝澤武士さん。先日、PreSonusのスピーカーの取材で槇原敬之さんのプライベート・スタジオ、“Jingumae Buppu Studio”におじゃまする機会を得たので、スタジオの機材と槇原敬之作品のプロダクションについて話をうかがってみました。

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

2005年から槇原作品のエンジニアリングを担当

——— 滝澤さんは若いころ、何か楽器をやられていたんですか?

滝澤 中学、高校とギターを弾いていました。中学のときに友だちがギターを買ったのを見て、カッコいい!おもしろそう!と。それで親に泣きついて買ってもらって、ずっと独りで練習していましたね。高校に入ってからは友だちとジャパメタのコピー・バンドを組んで(笑)。そんな感じで楽しくやっていたんですが、自分にプレーヤーとしての技量が無いことはバンドを始めてすぐに気付いてしまったので、音楽を職業にするなんてことはまったく考えていませんでした。それで高校を卒業した後の進路はどうしようかと考えていたときに、一緒にバンドをやっていた友だちが音響系の専門学校に行くと言うんですよ。当時、エンジニアという職業についてはまったく知らなかったんですが、話を聞くとすごくおもしろそうで。真似して自分も音響系の専門学校に行くことにしました(笑)。

——— 専門学校でエンジニアリングのいろはを学んで。

滝澤 いや、そうでもないです。学校にはちゃんと行っていましたけど、授業を受けても、エンジニアという仕事が何なのかは、よくわかりませんでした。先生の教え方が悪いとかそういうことではなくて(笑)、今思えば、そもそも自分がそこで何を学べば良いのか分かっていなかったせいだと思います。やっぱりレコーディング技術って現場で実際に機材に触れて必要に迫られないと理解できないことがほとんどですし、エンジニアって機械を使えればそれで良しって仕事じゃないですからね。そんな感じで、実際どんな仕事なのか知らないまま就職活動をして、たまたまスタジオに就職することができたので、仕事をしながら勉強させていただいたという感じです。

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

レコーディング・エンジニアの滝澤武士さん。槇原敬之さんのプロダクションには2005年から関わっている

——— 影響を受けたエンジニアというと?

滝澤 名前が知られているような有名なエンジニアは、みんな音に個性があって凄いなぁと思いますよ。その中で一人挙げるなら、トム・ロード=アルジですね。クリス・ロード=アルジよりも、トムの方が断然好きです。あとは自分の場合、アシスタント時代に一緒に仕事をさせていただいたエンジニアがみなさん凄かったので、そういった方々の影響は、とても大きいです。ミキシングに関することだけではなくて、仕事の仕方とか、そういった部分でたくさん勉強させていただきました。

——— 滝澤さんはこれまで、多くのアーティストの作品に参加されてきたわけですが、ここ数年はずっと槇原敬之さんの作品を手がけられていますね。

滝澤 はい。2005年からご一緒させていただいています。槇原さんはこれまでたくさんエンジニアと作品を作ってこられていますが、この9年間は基本的に全て自分が担当させていただいています。

槇原さんは、ひとことで簡単に言ってしまうと天才ですね。すばらしい歌声で、シンガーソングライターで、アレンジも打ち込みも全部一人でやってしまう。いつも何か新しいことに興味を持っていて、それを吸収して自分の作品に取り込んでいく能力がとてつもなく高い。しかもその結果が取って付けたようなものではなく、完全に自分の音楽として昇華させている。これまで多くのアーティストと関わらせていただいて、凄いなと感じた方は何人もいましたけど、その中でもかなり特別です。

それに槇原さんは、自分の中にある、自分では気づかなかった部分を引き出してくれたりもするんです。つい、自分の経験値で知っている“上手くいく方法”に当てはめて処理しようとしてしまうときに、枠からハミ出すきっかけを与えてくれるというか。後で聴くと、自分でも何でこういうミキシングをしたんだろうと不思議に思う作品もあったり。ですから槇原さんとの仕事は、何度ご一緒させていただいても新鮮です。

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

いたるところにスターウォーズ・グッズが置かれた“Jingumae Buppu Studio”

槇原敬之さんのプライベート・スタジオ、“Jingumae Buppu Studio”

——— この“Jingumae Buppu Studio”は、槇原敬之さんのプライベート・スタジオということですが、いつくらいに開設されたのでしょうか?

滝澤 8年くらい前ですかね。完全に槇原さんのプライベート・スタジオで、他の人に貸し出したりはしません。ここができる前は、事務所と同じフロアにある10帖くらいの部屋をスタジオとして使っていたんですけど、レコーディングに没頭できるようにということで出来たのがこのスタジオなんです。広い空間が必要な楽器を録るときは外のスタジオを使いますが、歌やギターはここで録りますし、ドラムを録音したこともあります。ミックスに関しては100%ここでやっていますね。

——— 奥のブースもかなり広いですね。

滝澤 そうですね。必要に応じて簡易的にセパレートできるようにもなっています。

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

槇原敬之さんのプライベート・スタジオ、“Jingumae Buppu Studio”。本格的な音響設計がなされ、商用スタジオと変わらないクオリティを誇る

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

コントロール・ルームを右後方から見たところ。前方がAvid Pro Tools|HDXシステムが置かれた滝澤さんの定位置、後方がApple Logic Proとヤマハ CP1が置かれた槇原さんの定位置となる

——— 機材はコンピューターと必要最低限のアウトボード類という感じですね。

滝澤 ここに限らずですが、何に重きを置いて機材選定するかというのは、無駄を省くためにも常に気にかけていますね。DAWはAvid Pro Tools|HDXシステムで、旧Mac ProにHDXカードを3枚インストールしています。普段は24bit/96kHzで作業しているんですけど、今のところHDXシステムでカード3枚は必要無いですね。1枚でも十分なくらい。でも、嘘みたいにパワーが必要なミックスをする場面が数年に一度あるので、そのときのために3枚入れてあります。

Pro Toolsの入出力はApogee Symphony I/Oが2台で、計32ch入出力。でもこのところ複数のAD/DAコンバーターを併用した場合と単体で使う場合の音質差が気になってしまって、多チャンネルが必要なとき以外Symphony I/Oは1台で使っています。でも、これは気のせいかもしれませんし、自信はないんですけど(笑)。マスター・クロックにはAntelopeのIsochrone Trinityを使っています。

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

レコーディング&ミックス用のDAWは、Avid Pro Tools|HDXシステム。旧Mac ProにHDXカードが3枚装着された大規模なシステムとなっている

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

マシン・ルームに設置されたラック類。メインのAD/DAコンバーターであるApogee Symphony I/Oが3台、マスター・クロックのAntelope Isochrone Trinityのほか、Prism Sound ADA-8XR、MOTU HD192、Avid Sync HDといった機材がマウントされている

——— Universal Audio UADは?

滝澤 凄く興味ありますが、一般的なレコーディングスタジオでは導入されているところはそれほど多くないので、スタジオを移動した際にセッションの再現性がなくなってしまうのが面倒なので使ってないです。まぁ、これはUAD以外のプラグインでも同じことなんですけどね。あと、アレに手を出すと、すべてのプラグインを揃えないと気が済まなくなってしまいそうなので自重しています(笑)。

——— 脇にはNeveの古い放送卓が置かれていますね。

滝澤 これは54 Seriesという卓ですね。レコーディングで使えるように、改造して各チャンネルにダイレクト・アウトを付けています。モジュールは34128というヤツで、いわゆる誰もが知っているNeveサウンドとは別物ですが、これはこれでとても良い音です。ミックスの際にサミング・ミキサーとして使ったこともありますが、今は主に録りに使っています。

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

Neveのヴィンテージ・コンソール、54 Series。34128モジュールが8ch分入っている

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

槇原敬之さんのボーカル・レコーディング時に使用するというManley VoxBoxをはじめとするアウトボード類はマウントされたラック

——— 今は別のサミング・ミキサーを使用されているんですか?

滝澤 Unit AudioのNew Unit XLRというパッシブのミキサーを使っています。サミング・ミキサーもそれぞれ個性があるので、これまでSPL MixDream XP、Dangerous Music 2-Bus、Neve 54 Seriesなどいろいろと使ってきました。それで各機材の個性は一体どこで生じているんだろうと考えてみたんですが、どうやらサミング部分ではなく、その後のアンプの部分じゃないかと思ったんですよね。個性があるというのは良いことだと思うんですが、この曲にはSPL、この曲にはDangerous、みたいなことになってしまう可能性がある。そんなに何台もサミング・ミキサーを持ちたくないので(笑)、今はサミングに関してはパッシブ回路のUnit Audioに任せ、その後に楽曲に合わせてマイク・プリアンプを使うというスタイルになっています。マイク・プリアンプは録りでも使いますから、複数台持っていても無駄になりませんからね。

——— スピーカーは、PreSonus Sceptreですね。

滝澤 少し前にデモ機を試して凄く気に入ったので、すぐに導入しました。今では自宅でもこのスピーカーを使っています。(モニター・スピーカーやPreSonus Sceptreに関するインタビューは、エムアイセブンジャパンのWebサイトに詳しく掲載されています

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

モニター・スピーカーは、お気に入りというPreSonus Sceptre

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

コントロール・ルーム後方の槇原敬之さんのスペース。DAWはApple Logic Proで、マスター・キーボードはヤマハ CP1

——— 最近の槇原敬之さんの作品のプロダクション・フローをおしえていただけますか?

滝澤 槇原さんはご自宅でApple Logic Proを使い、作編曲だけでなく、ミキシングに関してもかなりの完成度で作り込んできます。昔は基本的な打ち込みを槇原さんがして、その後にマニピュレーターさんがデータを細かくトリートメントするスタイルでやっていたんですけど、このスタジオができた頃からは、ご自身ですべてプログラミングしていますね。そういった制作スタイルの変化は、パソコンの性能やソフト音源のクオリティが上がって、パソコンが1台あれば、曲作りもアレンジも完結できるようになったのが大きいと思います。何年か前は、デモはすべてソフト音源でも、レコーディングではハード音源を併用したりしていましたが、最近ではほぼソフト音源で完結しています。それにしてもデモの完成度が異様に高いので、エンジニアとしてはありがたい反面、困ることもあります(笑)。デモを聴いて、のびしろがどこにあるかの見極めがとても大切で、場合によっては本当にこのままでいいということもありますよ。

——— デモを元に、生楽器や歌を録り直していく?

滝澤 最初からすべてバンドで演奏する前提でもない限り、ほとんどのパートは(槇原敬之さんが打ち込んだトラックが)そのまま採用されます。ギターに関しては、ほぼ生に差し替わりますが、あとは必要に応じて、ドラムやストリングス、ブラス、パーカッションなんかを生にする程度ですね。生に差し替えるかどうかの判断は、槇原さんの中に最初からアイデアがある場合もありますし、何人かで話し合って決定することもあります。

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

かなり広いレコーディング・ブース

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio

レコーディング・ブースに置かれた槇原敬之さんお気に入りのローランド V-Piano

——— 槇原さんが自宅でつくられるデモは、WAVの形でここに持って来られるんですか?

滝澤 そうです。トラックごとにWAVで書き出してもらって、それをここのPro Toolsにインポートして作業します。

——— 歌はここで録り直すんですか?

滝澤 そうですね。機材としては、マイクはTelefunken ELA M 251で、HAはManley VoxBoxを使っています。完全にセルフ・ディレクションで、メイン・ボーカルからコーラスまで、2〜3時間くらいで録り終えます。マイクでの録られ方や、自分の調子の良し悪しを完全に把握できる人なので、レコーディングはとても早いですね。

Takeshi Takizawa - Noriyuki Makihara's Studio
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