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冨田勲先生が『ドーン・コーラス』で使用した幻のシンセサイザー、カシオ計算機「コスモシンセサイザー」

今月5日、世界的な音楽家であり、シンセサイザー音楽の先駆者である冨田勲先生が逝去されました。新作の交響曲『ドクター・コッペリウス』を11月に上演すると発表されたばかりだったので、突然の訃報に驚かれた方も多かったのではないでしょうか。シンセサイザー好きにとってはまさしく神様のような存在であり、満面の笑顔を浮かべた写真が目に入るたびに悲しく、寂しい気持ちになりますが、先生いわく人間の生や死は“自然現象”。「宇宙の塵が集まってできた人間は、いずれは宇宙の塵に戻る」のです。

冨田勲先生、すばらしい音楽をありがとうございました。

Isao Tomita

冨田勲先生は日本で初めてMoog Synthesizerを手に入れ、創作に取り入れた音楽家として知られています(1971年秋、先生が39歳のときです)。間もなく業務用ミキシング・コンソールやMTRなどを完備した電子音楽スタジオを開設し、シンセサイザーを駆使した音楽作品を次々に発表。日本の音楽家として初めて、グラミー賞にノミネートされました。その後、電子音楽スタジオを自宅の一室に移設し、Fairlight CMIやNew England Digital Synclavier、Digidesign(現・Avid)Sound Tools/Pro Toolsといった最先端の機材を他に先駆けて導入。最近ではVOCALOIDも創作に取り入れていましたし、“新しい音”には常に貪欲な音楽家だったと言えるでしょう。

MIDI規格が策定され、デジタル・シンセサイザーの人気が高まっていた80年代半ば、冨田勲先生がアドバイザーとして協力した化け物のようなシンセサイザーがお目見えします。カシオ計算機が開発した幻のシンセサイザー、「コスモシンセサイザー(コスモ シンセサイザ システム)」です。1984年9月、『アルス・エレクトロニカ(Ars Electronica)』(オーストリア・リンツ)で発表された「コスモシンセサイザー」は、非常に大規模なシンセサイザー・システムで、当時はマニアの間で大きな話題となりました。あまりに大がかりなシステムだったためか、結局発売まで至らなかった「コスモシンセサイザー」ですが、音源部のアルゴリズムは後のCZシリーズに受け継がれています。

CASIO - Cosmo Synthesizer

出典:一般財団法人樫尾俊雄記念財団(Kashio Toshio Memorial Foundation)

「コスモシンセサイザー」は、CMIやSynclavierに似た構成の巨大なシンセサイザー・システムです。シーケンサー、サンプラー、デジタル・シンセサイザー、波形エディター、音色エディターといった機能を備え、1台で音楽制作が完結するミュージック・ワークステーションの先駆け的なシステムでした。CMIやSynclavierと比較した特徴としては、元波形の読み出し位相角を歪ませることで様々な波形を合成することができるカシオ独自の音源、“PD(Phase Distortion)音源”を搭載している点と、音源部が細かくモジュール化されている点、またMIDIシーケンサーの機能が非常に充実している点が挙げられるでしょう。

「コスモシンセサイザー」の中核を成すのは「PMWS」と呼ばれるコンピューターです。「PMWS」は、カシオの汎用16bitコンピューター、FP-6000がベースになっており、拡張スロットには1系統のMIDI入力と4系統のMIDI出力を備えたMIDIインターフェース・ボードと、独自の“WAVE BUS”ポートを備えたWAVEインターフェース・ボードが装着されています。モニター・ディスプレイは14インチ・カラー、入力デバイスはキーボード、マウス、タブレットの3種類で、外部記憶装置として8インチ・フロッピー・ディスク・ドライブも用意されました。

CASIO - Cosmo Synthesizer

「PMWS」のアーキテクチャー(出典:日本音響学会誌)

「PMWS」のOSはMS-DOS 2.11で、その上で4種類のオリジナル・ソフトウェアが動作します。MIDIキーボードを使ってリアルタイム・レコーディングするためのMIDIシーケンサー「PED(Play EDitor)」、楽譜に音符を置いてステップ・レコーディングするためのMIDIシーケンサー「MED(Music EDitor)」、波形編集や波形合成を行うためのエディター「WED(Wave EDitor)」、音源ユニット「PDU(後述)」の音色エディター「SED(Synthesizer EDitor)」の4種類です。ユーザーは、この4種類のソフトウェアを使い分けながら楽曲制作を行います。

「PED」は16パートのMIDIシーケンサーで、最大で約3万ものノート情報をレコーディングすることが可能。もちろんレコーディングだけでなく、MIDIデータのカット/コピー/ペースト、ミックス、チャンネル分離、チャンネル変更、オクターブ・シフトといった編集を行うことができ、マーカー機能も装備。一方の「MED」は、楽譜に音符を置くことでノート情報を入力できるステップ・タイプのMIDIシーケンサーで、1画面には6パート分表示させることが可能。こちらは約1万ものノート情報をレコーディングすることが可能でした。

CASIO - Cosmo Synthesizer

「PED(Play EDitor)」の画面(出典:日本音響学会誌)

CASIO - Cosmo Synthesizer

「MED(Music EDitor)」の画面(出典:日本音響学会誌)

そして「コスモシンセサイザー」の音源となるのが、「SPU」と「PDU」という2種類の音源ユニット(音源モジュール)です。「SPU」はPCMサンプラー、「PDU」はPD音源のデジタル・シンセサイザーで、1システムあたり「SPU」は2台、「PDU」は6台、計8台の音源ユニットが接続されます。「PMWS」と音源ユニットの接続インターフェースはMIDIで、「SPU」はさらに“WAVE BUS”ポートでも接続され、波形や音色データも送受信できる仕様になっています。また、リアルタイム演奏用の61鍵仕様のMIDIキーボード、「CT-6000」も標準コンポーネントとして用意されました。

CASIO - Cosmo Synthesizer

サンプラー音源ユニット「SPU」(出典:Facebook – Casio Music Gear

CASIO - Cosmo Synthesizer

「コスモシンセサイザー」のシステム接続図(出典:日本音響学会誌)

PCMサンプラーの「SPU」のサンプリング・タイムは最長3秒で、1つのサンプルは8つまで分割可能。サンプル・レートやビット・レゾリューションに関しては公表されていませんが、サンプリング時の周波数特性は20Hz〜15kHzと、当時としてはかなりの高スペックとなっています。音源ユニット1台あたりの最大発音数は4音、トリガーできる音域は5オクターブで、ベロシティ対応。さらにはプリ・トリガー・サンプリングといった先進的な機能も備え、サンプリングした波形データは“WAVE BUS”経由で「PMWS」に送り、「WED」を使って詳細にエディットすることができました。

一方の「PDU」は1台あたり8音ポリフォニックのPD音源で、発音音域は「SPU」同様5オクターブ。こちらも「SED」というソフトウェアを使い、「PMWS」上で詳細な音色エディットができる設計になっていました(「PMWS」への音色ダンプ/ロードにも対応)。

そして計8台の音源ユニットの出力は、アナログ・ミキサーによってまとめられます。これが「コスモシンセサイザー」の概要です。

気になるのがそのサウンドですが、「コスモシンセサイザー」は1984年発表の冨田勲先生の9枚目のアルバム『ドーン・コーラス』で使用されているとのこと。これが事実なら、「コスモシンセサイザー」の音が聴ける唯一の作品ということになります。

Isao Tomita- Dawn Chorus

カシオ計算機が当時の技術の粋を集めて完成させた夢のシンセサイザー・システム、「コスモシンセサイザー」。残念ながら市場に出回ることはありませんでしたが、それがまたこのシンセサイザーを魅惑的なものにしているような感じがします。